添上郡(読み)そえかみぐん

日本歴史地名大系 「添上郡」の解説

添上郡
そえかみぐん

面積:二一・二〇平方キロ
つき

県東北端を占める月ヶ瀬村一村のみの小郡。大和高原の一角をなし、中央を名張なばり川(五月さつき川)がV字谷を刻んで西流する。東は三重県上野市、西は奈良市、南は山辺郡山添村、北は京都府相楽郡南山城村に接する。

旧添上郡は現奈良市東部、山辺郡北部を含む広大な地域であった。古くは添下郡とともにソフ県の地域で、「日本書紀」神武天皇即位前紀己未年二月二〇日条に層富そふ県、天平二年(七三〇)の大倭国正税帳(正倉院文書)に添御県、「延喜式」祈年祭祝詞に曾布そふ御県、藤原宮出土木簡墨書銘に所布評がみえる。添上郡の文献上の初見は「日本書紀」欽明天皇元年二月条の「倭国の添上郡」である。「延喜式」(民部)に「そふの かみ」と記し、「和名抄刊本に「曾不乃加美」と訓ずる。近世以降はソエカミ郡という。「和名抄」には、郡内の郷として山村やまむら楢中ならなか山辺やまのべ楊生やぎゆう八島やしま大岡おおおか春日かすが大宅おおやけの八郷名が記載されている。このほかにも次のように志茂しも郷・仲戸なかと郷・南郷・西郷・山郷等の郷名がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報