鋸南町(読み)きよなんまち

日本歴史地名大系 「鋸南町」の解説

鋸南町
きよなんまち

面積:四五・一四平方キロ

安房郡の北西端に位置し、西は海(浦賀水道)に臨む。北はのこぎり山塊を境に富津市、東は鴨川市、南は富山とみやま町に接する。町名鋸山南麓にあることによる。房総丘陵が広がる町域の北部を保田ほた川、南部を佐久間さくま川が流れ、いずれも海に注ぐ。海岸線をJR内房線、国道一二七号が通る。

勝山かつやま沖のうき島は景行天皇行幸伝説があり、鋸山南中腹の日本にほん寺は神亀二年(七二五)行基の開創とされる。律令制下では「和名抄」に記す安房平群へぐり郡に属し、狭隈さくま郷および穂田ほた郷が町域に比定される。治承四年(一一八〇)伊豆石橋山合戦に敗れた源頼朝は同年八月二九日「猟島」に上陸しているが、猟島は当町竜島りゆうしまのこととされる。宝治合戦後の宝治元年(一二四七)二階堂氏が当地域一帯を与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鋸南町」の意味・わかりやすい解説

鋸南〔町〕
きょなん

千葉県南西部,内房にある町。 1959年勝山 (かつやま) ,保田 (ほた) の2町が合体して成立。町名は鋸山の南麓に位置することによる。中心地区の勝山,その北部の保田はともに浦賀水道にのぞみ,海岸は海水浴場として有名。野菜・花卉園芸が盛んで,スイセンの栽培は江戸時代から知られる。鋸山の南麓には五百羅漢があり,海上にはウミウの生息地浮島,源頼朝ゆかりの竜島があり,南房総国定公園に属する。江戸時代の浮世絵師菱川師宣はこの地の出身で,吉浜 (よしはま) には菱川師宣記念館がある。また,聖武天皇の勅願で行基開祖と伝えられる日本 (にほん) 寺には重要文化財の梵鐘があり,1969年に復元された本尊は日本最大 (31.5m) 。 JR内房線,国道 127号線が通る。面積 45.19km2。人口 6993(2020)。

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