銅町(読み)どうまち

日本歴史地名大系 「銅町」の解説

銅町
どうまち

[現在地名]山形市銅町一―二丁目・宮町みやまち三丁目など

宮町の北に延びる羽州街道の両側町。城下最北端に位置し、北は馬見まみさき川。延文元年(一三五六)斯波兼頼が山形に入封したときに鋳物師を集め、築城の際工事に必要な品を供給させたと伝え、小野田平左衛門ら九人が鋳造業を行っていたという。当時は円応えんのう寺の北方花立はなだて河原を貫く天童街道の薬師堂の傍ら銅冶どうや町という集落を形成していたという。慶長九年(一六〇四)最上義光が羽州街道を宮町通に移して以降宮町の北に移転したと伝えるが、最上氏時代城下絵図にはみえない。元和九年(一六二三)の宮町村検地帳(山形県史)によると、銅屋町の住人が土地を所持しているので、この頃すでに町立てされていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報