金磯新田(読み)かないそしんでん

日本歴史地名大系 「金磯新田」の解説

金磯新田
かないそしんでん

[現在地名]小松島市金磯町

田野たの村の北東に位置する。北東部は海に臨み、新田開発以前は小松島浦日開野ひがいの村・芝生しぼう村・田野村の田地囲堤外の潮干潟であった。元禄二年(一六八九)八月に勝浦かつうら川が溢水で芝生川が決壊し、これら四ヵ村の田地が潮入となり、その復旧には目路見奉行により造用銀四〇貫が見積られた。小松島浦で農地経営とともに廻船業を営んでいた助右衛門(多田家、のち金磯新田の名主)は破損個所の復旧と潮干潟の新田化(干潟六〇―七〇町余という)を合せて行う見積書をもって出願している(多田家文書)。同三年から同四年にかけて一千間の大手囲堤と数ヵ所の石井利を自力で築立て終えたことから、新開が大幅に進展するとともに四ヵ村の田地も改良され、鍬下年季は同五年から宝永元年(一七〇四)までとされた。当新田がほぼ完成する頃に大林おおばやし村・坂野さかの村の間の荒地二〇町余の干潟(樫本大五郎の名負地)地代銀を払って譲り受け、これもほぼ一ヵ年で田地としている。宝永三年には御用金の献上により殿中一統のお目見えと脇差を許されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報