金浦町(読み)このうらまち

日本歴史地名大系 「金浦町」の解説

金浦町
このうらまち

面積:一八・七九平方キロ

由利郡南西部、仁賀保にかほ海岸にあり、東は仁賀保町、南は象潟きさかた町。鳥海山から流出した泥流地形による小丘が分布し、丘陵間の低地水田が広がる。低地中央を赤石あかいし川が、北部を白雪しらゆき川が流れて日本海に注ぐ。海岸に沿って国道七号と国鉄羽越本線が南北に貫通している。

町中心部の金浦は湾が入り組み、近世初頭から漁港として栄え、現在も県内の代表的な漁港として水産物集散が盛んである。

金浦町
かなうらまち

[現在地名]魚津市金浦町・末広町すえひろちよう

金屋かなや町北側の裏町であることから金浦町とよばれ、町立てが新しいため新屋敷しんやしきともよばれた。町は東西に細長く延び、北は下村木しもむらき村。天保年間(一八三〇―四四)下村木村領の地を請地して町立てされたというが、伊東留帳(伊東家文書)や魚津市立図書館所蔵文書に天保八年・同一四年などの下村木村領の請地の記事が載る。当町の北に富屋とみや町があり、天正七年(一五七九)に町ができていたという。

金浦町
かなうらちよう

[現在地名]金沢市天神町てんじんまち一丁目

天神町の東に続く。東・北は田井たい村および田町新道たまちしんみちに続き、南は田井天神(現椿原天満宮)。東西に延びる両側町で地子町。町名は中世当地域が金浦郷に属していたことにちなむという(金沢古蹟志)。はじめ田井村領町と称する相対請地であったが、文政四年(一八二一)金沢城下周辺相対請地の城下編入が行われた際に町立てされた(国事雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報