金沢貞顕(かねさわさだあき)(読み)かねさわさだあき

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

金沢貞顕(かねさわさだあき)
かねさわさだあき
(1278―1333)

鎌倉幕府第15代執権。父は金沢流北条顕時(あきとき)。母は安達泰盛(あだちやすもり)の娘。法名崇顕(崇鑑)。1294年(永仁2)左衛門尉(さえもんのじょう)、1302年(乾元1)六波羅探題(ろくはらたんだい)南方、10年(延慶3)同北方、15年(正和4)連署(れんしょ)などを歴任し、26年(嘉暦1)執権となる。しかし、前執権北条高時(たかとき)の弟泰家(やすいえ)の反対を恐れてわずか10日にして辞任寄合衆(よりあいしゅう)に参加。33年(元弘3・正慶2)5月22日、幕府の滅亡に際して一族とともに東勝寺(とうしょうじ)(鎌倉市葛西ヶ谷(かさいがやつ))において自刃。得宗(とくそう)専制下に小心翼々と身を処した好学家。金沢文庫体裁を整え、発展に尽くした。

[奥富敬之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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