野間庄(読み)のまのしよう

日本歴史地名大系 「野間庄」の解説

野間庄
のまのしよう

現伊丹市南部の野間地区を含み、尼崎市北西部にかけて展開した庄園。庄域は川辺かわべ郡南条と武庫むこ郡東条にまたがっており、庄内友行ともゆき名・時友ときとも(現尼崎市)などの名が存在した。左大臣藤原頼長の所領であったが、頼長が保元の乱で敗死したために没官され後白河天皇の後院領となった(保元二年三月二五日太政官符「兵範記」同月二九日条)以後、本所職は皇室に伝領されたと考えられるが、康永三年(一三四四)七月日の亮性法親王庁解(妙法院文書)によると、承久の乱後の後高倉院の代に「子細」あって山城国小塩おしお(現京都府)との交換で妙法院門跡に移り、以後門跡に継承されたとある。仁安三年(一一六八)一一月二九日の沙弥盛信私領相博状案(大徳寺文書)によると、盛信は私領若狭国遠敷おにゆう名田なた(現福井県名田庄村)と伊予内侍(藤原説子)の所領野間庄とを交換している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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