野間口村(読み)のまぐちむら

日本歴史地名大系 「野間口村」の解説

野間口村
のまぐちむら

[現在地名]豊能町野間口

能勢のせ郡に属し、余野よの村の西に位置する山村。北は丹波国桑田くわたまき村。妙見山へ通じる妙見道が東西に通る。応永一二年(一四〇五)一二月祖円なる僧が能勢郡与野よの村の田一二〇歩を勝尾かつお(現箕面市)無量光院連珠房に売渡しているが、その作人として「野間口之源三郎」がみえる(同月晦日「僧祖円本物返田地売券」勝尾寺文書)。慶安二年(一六四九)余野村より分れ、一村となった(大阪府全志)

野間口村
のまぐちむら

[現在地名]菊池市野間口

玉祥寺ぎよくしようじ村の南、迫間はざま川左岸の沖積地に位置する。北は迫間川によって画され、当村の東方にある隈府わいふ町から西へ走る菊池往還が村内を東西に貫く。隈府町高札辻より約一四町。来民くたみ往還との分岐点には大正四年(一九一五)建立と思われる追分石があり、「東隈府町、西植木町、南大津町、北来民町」と書かれている。慶長四年(一五九九)検地帳に田三二町六反六畝余・畠四六町四反六畝余、分米七四二石八斗余とあり、同九年九月の検地帳でもほぼ同高。「国誌」に小村の神来が記される。深川手永に属し、文化一一年(一八一四)頃の深川手永手鑑には高七六八石九斗余、田二六町四反九畝余・畑四〇町四反余、竈数七六・人数三一〇、馬六〇、氏仏地蔵・氏神貴船宮とあり、迫間川筋に磧四ヵ所があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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