野良田村(読み)のらだむら

日本歴史地名大系 「野良田村」の解説

野良田村
のらだむら

[現在地名]世田谷区中町なかまち一―五丁目・用賀ようが一丁目・深沢ふかさわ五丁目・同七丁目・等々力とどろき二―三丁目・同八丁目・野毛のげ一丁目・上野毛かみのげ一丁目・同四丁目

上野毛村の東、下野毛村の北にある。荏原えばら郡に属する。谷沢やざわ川が北の用賀村から入り、村内をL字に流れて東の等々力村へと向かう。上野毛村から入り等々力村へ抜ける往還があり、江戸へ通じる道となっていた。弦巻つるまき村に住した吉良氏家臣の糟谷与一右衛門が、主家の没落後帰農してこの村を開いたとされる(風土記稿)。慶長一三年(一六〇八)年貢皆済目録(同書)に野良田村の名がある。寛永一〇年(一六三三)以降近江彦根藩領(公私世田谷年代記)。田園簿では田三一石余・畑四六石余、ほかに野米一石余。

野良田村
のらだむら

[現在地名]彦根市野良田町

肥田ひだ村の西に位置し、野羅田とも書いた。永禄三年(一五六〇)秋、肥田城をめぐる攻防の際、当地でも合戦があった(江濃記)。慶長高辻帳に村名がみえ、高五一〇石余。寛永石高帳には五〇一石余とあるが、他の郷帳でも五一〇石余であるので誤写であろう。江戸時代を通じて彦根藩領。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば人数二四四、うち寺社方八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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