野中兼山一族幽閉屋敷跡(読み)のなかけんざんいちぞくゆうへいやしきあと

日本歴史地名大系 「野中兼山一族幽閉屋敷跡」の解説

野中兼山一族幽閉屋敷跡
のなかけんざんいちぞくゆうへいやしきあと

[現在地名]宿毛市桜町

寛文三年(一六六三)野中兼山は藩政から身を引き、家督を長男清七に譲って香美郡中野なかの(現土佐山田町)に隠居し、同年暮れに病没した。兼山の死後も反対派は追及の手を緩めず、翌四年、兼山の遺族たちを兼山養母の里方である宿毛山内氏の所領宿毛に移した。兼山執政中の罪状をあげ、兼山が死去したので代りに清七に罪を申付けるというのである。一行には、罪人ではないが兼山の養母と正妻市も加わり、遺族らは宿毛土居のすぐ隣のやすいちに幽閉された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報