宿毛町(読み)すくもまち

日本歴史地名大系 「宿毛町」の解説

宿毛町
すくもまち

[現在地名]宿毛市ほん町・さくら町・土居下どいしたさいわい町・長田ながた

慶長六年(一六〇一)の安東可氏宿毛入城後、宿毛城および居館宿毛土居を核として形成された小城下町。元和の廃城以降は土居町として、また幡多はた郡西部有数の在郷町として発展した。町割の時期は明らかでないが、可氏入城とともに行われたと考えられ、明暦二年(一六五六)には同年二月の大火でほとんど焼失したしん(のちの上町)の再町割が行われたほか、新たにうし瀬土手せどて町などが町割されている(清文公一代記)。なお元禄地払帳は宿毛村本田高一千三三一石余のうち一〇〇石五斗を「宿茂土為敷町小路引地」とする。

うした宿毛町の様子を物語るのが、安芸市の五藤家に伝わる宿毛絵図である。この絵図は土居の西に隣る野中兼山の遺族を幽閉した場所に「野中金六兄弟共」とあるところから、延宝七年(一六七九)長男清七が死亡してのち、次男欽六が当主であった頃のものと考えられるが、それにより全体を概観すると、本城ほんじよう山の南麓に土居があり、その南に侍屋敷、その南と西に町人の屋敷が配されている。町割をみると道はすべてT字かL字形の行止りとなっていて、町そのものが城郭の一部としてつくられていたことがうかがわれる。

町割の細部をみると、まず土居の追手門の前に南北に「東侍町」(長さ八三間)、その西方に並行して「西侍町」(長さ五四間)があり、さらにその西方にも通りがあるが、単に「町長四拾八間」とあって町名は記されない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報