重郷(読み)しこねごう

日本歴史地名大系 「重郷」の解説


しこねごう

海南市の東南部、重根しこね別所べつしよ扱沢ぐみさわ東畑ひがしばたを郷域とした三上みかみ庄内の一郷。時代によっては重根一村、あるいは別所以外の三村で構成された時期もあった。久安元年(一一四五)一一月一日の秦宿禰守利私領売渡状案(間藤家文書)に、三上院内一二郷の一として重禰郷が記される。この時、秦氏よりその私領三上院の地を譲られた僧湛慶は、重禰郷内別所の深山を切開いて願成がんじよう寺を建立、同寺は周辺の谷に寺領を有していた(久寿二年正月日付「僧湛慶山地譲状案」願成寺文書)。別所よりさらに谷奥に開発が進むにつれ、奥地にあった郷内西畑にしばた(後の扱沢)百姓・杣人と願成寺との間に境相論が起きている(嘉暦二年六月一八日付「某下知状」間藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報