都野郷(読み)つのごう

日本歴史地名大系 「都野郷」の解説

都野郷
つのごう

古代の那賀郡都農つの(和名抄)に由来する中世郷。江川河口左岸の地域。江川水運の終点で、また山陰の沿岸水運の寄港地でもあり、両者の結節点をなしていた。とくに中世における江川は一般的物資の流通路であるにとどまらず、鉄や銅などの鉱石やその製品の搬出路としての機能をもっていた。郷内の多鳩たばと神社は石見国二宮と称された。現江津市の江津町・嘉久志かくし町・和木わき町・都野津つのづ町・敬川うやがわ町・波子はし町などの海岸部と、二宮にのみや町・千田ちだ町・有福温泉ありふくおんせん町および浜田市下有福町などの丘陵部を含む広大な地域で、貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「つのゝ郷 廿一丁一反六十卜」とある。都野氏は石見国衙の在庁官人の系譜を引き、幕府御家人となったと思われる在地領主であるが、鎌倉期にはほとんどその足跡をたどることができない。元応二年(一三二〇)八月一七日の某氏女譲状(飯田文書)は、郷内「波代村田地半分并浦在家」を養子の孫鶴丸に譲与したものであるが、この某氏女は都野氏の出の一分地頭と考えられる。南北朝期となると都野氏は一貫して南朝方あるいは足利直冬方として活躍する。建武二年(一三三五)一一月二九日の後醍醐天皇綸旨(閥閲録)を得た都野信保をはじめとして、一族をあげて反幕府の立場を鮮明にしている。例えば貞和二年(一三四六)六月には、石見南朝方の中心ともいうべき三隅兼連とともに上野頼兼の率いる幕府方を都野郷に迎え撃っている(同年七月日「吉川経明軍忠状」吉川家文書)

都野郷
つのごう

和名抄」所載の郷。同書は諸本とも訓を欠く。その名義に関して、「太宰管内志」は角臣が居住したことに由来するとする。「日本地理志料」もその説を踏襲し、都農つの川北かわきた今別府いまべつぷ山下やました岩山いわやま牧内山まきうちやま和田わだ(現都農町)の諸村に比定する。「大日本地名辞書」は都農村と川南かわみなみ(現川南町)に比定する。「日向国史」は都農村都農に国幣中社都農神社が鎮座することを紹介し、武内宿禰の後裔角氏・平群氏・八代氏に対応するかのように当郡に都農郷・平群へぐり郷、そして近接した諸県もろかた郡に八代やつしろ郷があることを指摘しなんらかの関係があるとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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