朝日日本歴史人物事典 「都々逸坊扇歌(初代)」の解説
都々逸坊扇歌(初代)
生年:文化1(1804)
江戸末期の音曲師。医師岡本玄作の次男。名は子之松,のち福次郎。常陸国佐竹村(茨城県常陸太田市)の生まれ。江戸へ出て船遊亭扇橋に入門。美音で当意即妙,謎とき唄や俗曲「とっちりとん」をよくし,音曲界のスターとなった。天保2~4(1831~33)年には名古屋で話題になったが,活躍の場は主として江戸であり,天保改革(1842)で寄席の音曲が禁じられたのちも三味線で謎ときを続けた。弘化3(1846)年には専用の駕籠で3軒の寄席を掛け持ちし,日収7,8両を得ている。禁令を犯してのことで絶頂期は短く,放浪の末に没した。<参考文献>石川淳『諸国畸人伝』
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報