コンドル(英語表記)condor

翻訳|condor

デジタル大辞泉 「コンドル」の意味・読み・例文・類語

コンドル(condor)

コンドル科の鳥。雄は全長約1.3メートル、体重12キロ。全体に黒色で、翼の一部とくびが白く、頭部に羽毛はない。動物の死体を主食とする。南米アンデス山脈に分布。
タカ目コンドル科の鳥の総称。カリフォルニアコンドルクロコンドルなど6種が北アメリカ南部から南アメリカに分布。小形のヒメコンドルは鶏大。はげたか。

コンドル(Josiah Conder)

[1852~1920]英国の建築家。明治10年(1877)来日。鹿鳴館ニコライ堂などを設計し、西洋建築の導入に尽力した。コンダー

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精選版 日本国語大辞典 「コンドル」の意味・読み・例文・類語

コンドル

〘名〙 (condor)
① コンドル科の鳥の総称。南北アメリカ大陸にコンドル、カリフォルニアコンドル、トキイロコンドル、クロコンドル、ヒメコンドルなど七種が分布。いずれも頭部の皮膚が裸出し、動物の死体を主食とする。ハゲワシハゲタカと呼ばれることもあるが、旧大陸産のハゲワシとは別の鳥。
② コンドル科の大型の鳥。全長一・二メートル、羽を広げると三メートル近くもあり、飛ぶ鳥のうちで最も大きい。全身灰黒色で翼に白帯がある。頭、くびは皮膚が裸出し、えりの部分に白色羽毛の首輪がある。雄の頭頂には、とさか状の肉冠がある。南アメリカのアンデス山脈の岩山にすみ、動物の死肉を主食とするが、ヒツジ、シカなどを襲うこともある。はげたか。〔造化妙々奇談(1879‐80)〕

コンドル

(Conder) ⇒コンダー

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改訂新版 世界大百科事典 「コンドル」の意味・わかりやすい解説

コンドル
condor

タカ目コンドル科Cathartidaeの鳥の総称,またはそのうちの1種を指す。この科の鳥は,南北アメリカの特産で,大型の腐肉食性の猛禽(もうきん)である。形態と生態は,旧世界に分布するハゲワシ類に似ているが,ハゲワシはタカ科に属し,コンドルとは科が異なる。ただし,英語ではカリフォルニアコンドルとコンドルの2種のみをcondorと呼び,他の5種とハゲワシ類をともにvultureと呼ぶ。日本ではcondor,vultureをともにハゲタカと訳すことがあるが,ハゲタカは鳥学上の用語ではない。

 コンドル科には5属7種があり,いずれも体は大きく,いちばん小さなクロコンドルでも全長55cm,翼の開張が140cmある。最大のコンドルとカリフォルニアコンドルは全長130cm,開張300cmに達し,タカ目の中では最大。ほかのタカ目の鳥は,雄よりも雌のほうが大きいが,コンドル類は雄のほうが大きい。羽色はトキイロコンドルの体が白いほかは,黒色または黒褐色で,頭部は皮膚が裸出し,種によって赤色,黒色,オレンジ色,青色などで彩られている。トキイロコンドルがメキシコから南アメリカの熱帯雨林に生息するほかは,すべて開けた環境を好み,大きな翼を広げて上昇気流にのり,動物の死体をおもに視覚でさがす。しかし,南北アメリカに広く分布するヒメコンドルは,腐肉をさがすのに嗅覚(きゆうかく)も利用するらしい。最近では,自動車にはねられた動物が彼らのよい餌となっている。大型のコンドルはヒツジやシカなどの幼獣を襲うことがあり,ペルー沿岸では各種のコンドルがグアノを産出する海鳥の卵や雛を食べる。また,よく熟した果実や野菜類を食べることがある。コンドルVultur gryphusは,全身黒色で,襟と翼の一部だけ白い。頭部は肉色で,雄には同色のとさかがある。南アメリカのアンデス山脈の全域に分布し,山頂から太平洋沿岸まで飛ぶ。絶壁の岩棚や洞窟で,1年おきまたは2年おきに,1羽の雛を育てる。産卵期は9~10月。雛は飛べるまでに6ヵ月を要し,さらに半年は両親に養われる。

 カリフォルニアコンドルGymnogyps californianusは,かつては北アメリカに広く分布していたが,しだいに減少して西部山岳地帯に追いつめられ,現在では約40羽がカリフォルニアの二つの特別保護地区に生存しているにすぎない。国際保護鳥の一つ。
ハゲワシ
執筆者:

中央アンデスにおいて,コンドルは古くから宗教の中で重要な役割を担ってきた。コンドルは,オウギワシ(ハーピ・イーグル)などとともに前1000年ころのチャビン文化,500年ころのティアワナコ文化などでは盛んに石彫や土器の模様の中に表現される。今日のアンデス高地ではコンドル・ラチの祭りを行う村がある。コンドルをとらえ,雄牛の背にしばりつけて雄牛と闘わせる。あるいはコンドルをつり下げてこれを殴殺する。また,コンドルは天と地の仲介者という一面ももつ。
執筆者:

コンドル
Josiah Conder
生没年:1852-1920

日本人建築家を養成し,日本に西洋建築を実現するために来日したイギリス人建築家。名前は本来はコンダーと発音する。生地ロンドンにおいて,ビクトリア朝ゴシックの建築家バージェスWilliam Burges(1827-81)の事務所等で修業し,1876年にイギリス王立建築家協会(RIBA)主催のソーン賞設計競技に入賞して一流の才能を示した。翌年(明治10)工部大学校造家学教師として来日,辰野金吾片山東熊,曾禰達蔵ら多くの建築家を育て,日本の近代洋風建築の基礎を作った。教育のかたわら自ら政府関係の建物の設計を行うが,建築を日本人の手で行おうとする趨勢の中で1888年(明治21)官を辞し,東京に設計事務所を開く。後半生は御雇外国人の立場を抜け出し,有能な民間建築家として三菱関係の仕事を中心として,資本家たちの邸宅を数多く手がけた。ゴシックの意匠を得意としたが,後には古典主義様式に作風を移行させた。国会議事堂計画,皇居造営,官庁街の計画等,明治初頭の重要な建築計画に対しても意欲を燃やしたが,結局のところ日本人側の企画のために,いずれも採用されることなく終わった。民間の邸宅建築家としての作品は,建物の外観,内部ともに本格的な様式で統一され,高い水準を示している。代表作は工部大学校在職中の上野博物館(1881。震災で現存せず),鹿鳴館(1883),事務所開設後の三菱1号館(1894),三井俱楽部(1913)等。全作品を日本に作り,日本に没したこの建築家は,歌舞伎を好み,河鍋暁斎に師事して日本画を学ぶ日本芸術愛好家であった。
執筆者:

コンドル
Only Angels Have Wings

ハワード・ホークスが1939年に製作,監督した航空映画の古典的名作。トーキー誕生後,音の魅力とともに航空撮影や特殊技術の進歩によって,空中戦映画や航空映画は流行のジャンルの一つとなったが,これはホークス自身の見聞と体験をもとにしたもので,南アメリカのアンデス山中の小空港を舞台に郵便飛行士たちの命がけの任務と冒険を描く。濃霧の中の飛行,不意に機内にとび込んでくるコンドル……,ホークス好みの危険に生きる男たちのアクションと友情のドラマである。夜の酒場でジーン・アーサーがピアノを弾き,ケーリー・グラントが歌う《ピーナッツ売り》のシーンは,その後のホークス映画(《リオ・ブラボー》1959,《ハタリ!》1962)の歌と笑いの宴のシーンの原型になっている。ハリウッド時代のウィリアム・フォークナーが脚本に協力し,また,リチャード・バーセルメスの妻の役で出演した当時まだ無名のリタ・ヘイワースが,スターにのし上がるきっかけとなった作品でもある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンドル」の意味・わかりやすい解説

コンドル

(1) Vultur gryphus; Andean condor タカ目コンドル科。雄は全長 1.3m,翼開張 3mをこえ,飛ぶ鳥では最大級種。雌は雄よりやや小型。成鳥の頭部の皮膚は裸出し紫黒色。頭上と喉に鶏冠のような肉垂がある。上頸部のまわりを覆う羽毛は白い。羽色は翼に大きな白斑模様があるほかはほとんど黒い。おもに死んだ動物をあさる腐食者で,獲物を求めて 1日に 200km以上も移動することがある。南アメリカ西部のアンデス山脈から沿岸域にかけて,南はアルゼンチンの先端まで広く分布する。近年激減し,絶滅した地方もある。
(2) Cathartidae; new world vultures タカ目コンドル科の鳥の総称。全長約 60~130cmで,7種からなる。頭部は羽毛がなく,皮膚が裸出している。は長くて幅が広く,上昇気流をとらえて大空を帆翔する。現生種はいずれもカナダ南部から南アメリカの新世界に分布し,大型であること,腐食性であることから旧世界に分布するハゲワシに対応する猛禽類とされるが,両者の類縁関係は離れている。鳥類の多くは嗅覚が発達していないが,ヒメコンドル Cathartes aura は嗅覚がかなり発達し,森林内などにある腐肉を嗅覚で探すことができる。ほかの種は視覚で獲物を探している。カリフォルニアコンドル Gymnogyps californianus は絶滅に瀕し,最後の野生の個体が 1987年に飼育繁殖のために捕獲された。以前から飼育されていた鳥もおり,飼育下での繁殖は成功している。今日では野生にも戻され,2011年現在およそ 200羽が野生で暮らしている。野生での減少は銃で撃たれたことのほか,毒殺あるいは鉛を含む銃弾で射殺された動物を食べ,繁殖力が衰えたことが一因である。今日では家畜や海岸に打ち上げられた動物の死肉を食べることが多い。

コンドル
Conder, Josiah

[生]1852.9.28. ロンドン
[没]1920.6.21. 東京
イギリスの建築家。サウスケンジントン美術学校で R.スミスおよび W.バージェズに学び,1877年日本政府の招聘で来日,工部省技術官ならびに工部大学校 (現東京大学工学部) 造家学科講師となり,日本人建築家を養成するとともに,明治初期の多くの重要な建築を設計,監督し,日本の近代建築の発展に多大の貢献をした。作品は旧帝室博物館 (1877~80) ,鹿鳴館 (80~83) ,ニコライ堂 (84~91) ,有栖川宮邸 (80~83) ,北白川宮邸 (88) ,宮内省 (90) ,海軍省 (89~93) ,三菱一号館 (96) など。

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朝日日本歴史人物事典 「コンドル」の解説

コンドル

没年:大正9.6.21(1920)
生年:1852.9.28
明治大正期の「わが国建築界の父」と呼ばれるイギリス人建築家。日本美術の海外紹介者としても知られる。南ケンジントン美術学校とロンドン大学で建築を学び,英国王立建築家協会主宰のソーン賞設計競技優勝の経歴を持つ。明治10(1877)年に来日し,工部大学校の初代造家学科教師として西洋建築学を教える一方,工部省営繕局顧問も兼ねて上野博物館,鹿鳴館,有栖川宮邸などを設計,皇居造営事業や官庁集中計画にも参画した。同23年に官界を退いたのちも終生日本にとどまり,ニコライ堂や三菱1号館,数多くの邸宅を手がけた。建築に対する真摯な態度と誠実な人柄には定評があったが,様式的な影響力は弱く,その業績は技術面に偏りがちであった。なお,絵師河鍋暁斎の弟子として「暁英」の雅号を持つ。<参考文献>『ジョサイア・コンドル博士遺作集』,小野木重勝『日本の建築2.様式の礎』,河東義之『ジョサイア・コンドル建築図面集』

(河東義之)

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百科事典マイペディア 「コンドル」の意味・わかりやすい解説

コンドル

英国の建築家。ロンドンに生まれ,東京で没。1877年政府の招きで来日して,洋風建築を設計,指導し,日本の近代建築史に大きな足跡を残した。作品に旧東京帝室博物館,鹿鳴館ニコライ堂などがある。
→関連項目辰野金吾

コンドル

コンドル科の鳥。翼長80cm,体長1.1m。頭部と頸は裸出し,体は黒く,翼の一部は灰白色。南アメリカのアンデス山脈にすみ,おもに動物の死肉を食べるが,家畜を襲うこともある。動物園等でよく飼育される。コンドル科は南北アメリカに特産し,ほかにカリフォルニアコンドル,ヒメコンドル,トキイロコンドル,クロコンドル等がある。よくハゲタカと訳される。
→関連項目ハゲワシ

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「コンドル」の解説

コンドル
Josiah Conder

1852.9.28~1920.6.21

イギリス人建築家。英語読みはコンダー。工部大学校造家学教師として1877年(明治10)1月来日。辰野金吾・片山東熊(とうくま)らを育て,日本近代建築の父と称される。上野博物館・鹿鳴館などを設計。解雇後も日本に留まり,邸宅を中心に数多くの作品を遺す。東京のニコライ堂(重文)・岩崎久弥邸(重文)・島津邸・古河邸,桑名の諸戸邸(重文)などが現存。河鍋暁斎(きょうさい)や日本の庭園・衣装に関する著作があり,日本文化の紹介者としても名高い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「コンドル」の解説

コンドル Conder, Josiah

1852-1920 イギリスの建築家。
1852年9月28日生まれ。明治10年(1877)来日,工部大学校(現東大)で建築学をおしえ,辰野(たつの)金吾らおおくの建築家をそだてる。建築教育の制度をととのえ,鹿鳴(ろくめい)館,ニコライ堂など70以上の建物を設計した。大正9年6月21日東京で死去。67歳。ロンドン出身。ロンドン大卒。作品に東京帝室博物館,三井倶楽部(クラブ)など。

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デジタル大辞泉プラス 「コンドル」の解説

コンドル〔映画:1975年〕

1975年製作のアメリカ映画。原題《Three Days of the Condor》。ロバート・レッドフォード出演のポリティカル・サスペンス。監督:シドニー・ポラック、共演:フェイ・ダナウェイ、クリフ・ロバートソン、マックス・フォン・シドーほか。

コンドル〔映画:1939年〕

1939年製作のアメリカ映画。原題《Only Angels Have Wings》。ケーリー・グラント主演の航空映画。監督:ハワード・ホークス、共演:ジーン・アーサー、リタ・ヘイワースほか。

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旺文社日本史事典 三訂版 「コンドル」の解説

コンドル
Josiah Conder

1852〜1920
イギリスの建築家
1877年来日。工部省技師,工部大学校造家学科主任教師として,明治の日本建築界の育成・発展に貢献した。皇居・議事堂・東京帝室博物館・鹿鳴館などを設計。東京で没した。

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世界大百科事典(旧版)内のコンドルの言及

【近代建築】より

…第1に御雇外国人を招いて主要な建築の設計を委嘱したことである。大きな足跡を残した人物として,造幣寮(1871,大阪)などを造ったウォートルス,工部大学校本館(1887,東京)などを設計したボアンビルC.de Boinville,陸軍参謀本部(1881以降,東京)などの設計者カペレッティ,それにコンドル,エンデHermann Ende,ベックマンWilhelm Böckmannらがいる。なかでもコンドルは来日後死去するまでの間ほとんど日本に滞在し,設計ならびに後進の指導などを通じて最も日本に貢献したといえる。…

【高層建築】より

…また,1872年の銀座から築地にかけての大火は,この建物の西欧化に加え,建物の不燃化を促進する契機となった。イギリスのT.J.ウォートルスやJ.コンドルらを中心とする建築技術者は,銀座や丸の内,さらには浅草に,赤煉瓦でつくられた洋風建築の町並みを建設していった。これらの2~3階建ての煉瓦造建築は91年におきた濃尾地震によりその耐震性が問題とされ,帯鉄や鉄筋によって補強されながらも大正の初期まで建設されていった。…

【日本建築】より

…明治政府が外国人技師を招いて官庁建築の建設を始めてから,本格的な西洋建築が伝えられた。外人建築家はJ.コンドル(ニコライ堂,鹿鳴館),ウォートルス(大阪造幣寮)らで,その設計した建築は当時のヨーロッパ建築界の情勢を反映し,ルネサンス様式を主体とする折衷主義的なものである。コンドルは工部大学校の講師として多くの日本人建築家を養成し,1890年ころからは日本人建築家による大建築ができるようになった。…

※「コンドル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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