辺浦(読み)あしべうら

日本歴史地名大系 「辺浦」の解説

辺浦
あしべうら

[現在地名]芦辺町芦辺浦

江戸時代、諸吉もろよし村のうちにあった壱岐八浦の一つ。玄界灘に臨む。平戸藩浦掛の支配で、在方の本村諸吉村とは別に扱われる。室町初期浜辺に石垣を築いて埋立を行い、深江ふかえ村の孫左衛門が移り住んだのが始まりで、のち移住者が増加、寛永年間(一六二四―四四)長門長府豊浦ちようふとようら(現山口県下関市)から篠崎隼人が来島して住吉神社の分霊を祀ったという。これにより浦名は豊浦と称したが、寛永一二年・承応二年(一六五三)・寛文四年(一六六四)・同一〇年など度々火事に遭い、同一一年天祥院(平戸藩四代藩主松浦鎮信)深江村茶屋に逗留していたときにも浦火事となり、改めて芦辺とするように命じたという(壱岐国続風土記)。この豊を「ゆたか」とよんだというが、長府豊浦はトヨであり、対馬豊村(現上対馬町)の例からしてもトヨであったと考えられる。これらの地域に住吉神社が祀られるのは海上交通の要所として興味深い。正保国絵図には豊浦と記される。

壱岐国続風土記」によれば、寛政一〇年(一七九八)当時は戸数二〇九・人数一千三五、牛四、大船二・小船一九・伝通船二一、酒屋七・麹屋八で、神社は住吉大明神・稲荷神社(現玉光神社)など、寺院は豊岳山天徳禅てんとくぜん寺・金剛山種徳禅しゆとくぜん院など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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