越中国府跡(読み)えつちゆうこくふあと

日本歴史地名大系 「越中国府跡」の解説

越中国府跡
えつちゆうこくふあと

[現在地名]高岡市伏木古国府・伏木古府

伏木ふしき台地の下位段丘に立地し、標高は一二―一九メートル。勝興しようこう寺を中心とする一帯が国府跡と推定されている。昭和四一年(一九六六)および昭和六〇年から平成二年(一九九〇)に発掘調査が行われ、奈良・平安時代と戦国時代を中心とする遺構遺物が検出された。前者には、掘立柱建物や柵・廊・溝等があり、須恵器土師器・円面硯・施釉陶器・瓦等が出土している。遺構は全体の規模が明らかになったものはほとんどないが、柱穴の配置などには規格性があり、廊を伴うことからかなり規模の大きいものであると考えられる。土器類は奈良時代から平安時代末期まであり、また京都方面から移入された土器や白磁があるなど、この地が一貫して重要な役割を果していたことをうかがわせる。瓦は国分寺瓦と称されるものが多いが、白鳳期にさかのぼる瓦も出土しており、同時期の土器も検出されている。白鳳期の瓦は小杉こすぎ丸山まるやま遺跡の瓦窯で焼成されたことが明らかになっている。戦国時代の遺構には溝等があり、土師器や八尾焼等が出土する。勝興寺が現在地に移転する天正一三年(一五八五)以前には、当地には古国府ふるこ城があったとされており、それに関連する遺構や遺物と考えられている。

勝興寺の南に接続して御亭角おちんかど遺跡があり白鳳期の瓦が採集されることから、国分寺に先行する寺跡があると推定されてきた。遺跡は古府字御亭角と字美野下みのしたに分けられる。前者では昭和四一年と同六一年に発掘調査が行われた。寺院跡の存在を示す直接的な遺構は確認されなかったが、四×三・五メートルの方形の竪穴住居跡一棟、溝等が検出された。竪穴住居付近からは、古墳時代の土師器、白鳳時代の須恵器が出土している。溝は白鳳期から奈良時代、国分寺系瓦や白磁を出土する平安時代後期、土師器の皿や火桶を出土する戦国時代、の三種類がある。美野下地区では東端部のもとは谷の部分が昭和六〇年に調査された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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