赤沢仁兵衛(読み)あかざわ・にへえ

朝日日本歴史人物事典 「赤沢仁兵衛」の解説

赤沢仁兵衛

没年:大正9.3.6(1920)
生年天保8(1837)
明治期の篤農。武蔵国入間郡今福村(埼玉県川越市)の人。川越芋幕末ごろから江戸の蔬菜・焼き芋用として有名になったが,明治以降は一層需要が増大した。その明治期に甘藷増収法を研究,だれでも単位面積当たりの収量を倍増できる方法を確立,普及に努めた。種芋に屑芋を使わない,うねを高くする,堆肥を多投し苗は釣り針のように曲げて挿すなどの赤沢式栽培法を公開し,著作や講習会によって広めた。当時の日本の甘藷栽培技術の最高水準を示すもので,今なお通用するものが多い。<著作>『赤沢仁兵衛実験甘藷栽培法』(『明治農書全集』4巻)

(井上浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤沢仁兵衛」の解説

赤沢仁兵衛 あかざわ-にへえ

1837-1920 幕末-大正時代の農事改良家。
天保(てんぽう)8年10月10日生まれ。武蔵(むさし)入間(いるま)郡(埼玉県)の人。慶応2年からサツマイモの栽培に力をそそぎ,増収となる栽培法を開発。明治43年「赤沢仁兵衛実験甘藷(かんしょ)栽培法」をあらわし,普及につとめた。大正9年3月6日死去。84歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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