赤松則祐(あかまつそくゆう)(読み)あかまつそくゆう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

赤松則祐(あかまつそくゆう)
あかまつそくゆう
(1311―1371)

南北朝時代の武将。則村(のりむら)の三男。1350年(正平5・観応1)に則村、翌1351年兄範資(のりすけ)の死没後、赤松氏惣領(そうりょう)になる。播磨(はりま)国守護職、のち摂津国有馬(ありま)郡を管轄。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)の過程では、一時期南朝側に属すが、足利義詮(あしかがよしあきら)側に復帰して活躍し、備前(びぜん)国守護職に任ぜられ、幕府の禅律方頭人になる。播磨守護代には一族の宇野氏、吉田氏、備前には浦上(うらがみ)氏を配置する。妻は佐々木導誉の女(むすめ)。禅僧との交流も深く、雪村友梅(せっそんゆうばい)を勧請開山(かんじょうかいざん)として宝林寺を建立した。諡号(しごう)は宝林寺殿自天妙善。

[岸田裕之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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