浦上(読み)うらかみ

精選版 日本国語大辞典 「浦上」の意味・読み・例文・類語

うらかみ【浦上】

長崎市中北部一帯の地名。戦国末期、キリシタン根拠地となり、禁令後も信仰を保持した者が多かった。昭和二〇年(一九四五)八月九日に投下された原子爆弾の爆心地。浦上天主堂がある。

うらがみ【浦上】

(「うらかみ」とも) 姓氏の一つ

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デジタル大辞泉 「浦上」の意味・読み・例文・類語

うらがみ【浦上】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「浦上」姓の人物
浦上玉堂うらがみぎょくどう
浦上春琴うらがみしゅんきん

うらかみ【浦上】

長崎市北部の地名。キリシタンの里で、浦上天主堂がある。原爆の爆心地。

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日本歴史地名大系 「浦上」の解説

浦上
うらかみ

中世よりみえる地名で、彼杵そのき庄のうち。弘安六年(一二八三)一二月一日の関東裁許状(福田文書、以下断りのない限り同文書)に「浦上郷」とみえ、承久二年(一二二〇)福田ふくだ郷との境をめぐって天野政景と福田兼信が相論となっているが、同裁許状に引く嘉禎三年(一二三七)一二月二九日の関東御教書案に浦上小太夫が記され、当地の開発にかかわった者と推定されている。正平一八年(一三六三)彼杵南方一揆に加わった「浦上ノ」沙弥浄賢、同所の六郎入道沙弥性西は(同年八月日彼杵庄南方一揆連判状写)浦上氏か福田氏の一族で当地を拠点とする者であろう。同二四年には福田兼澄が「彼杵庄南方内福田大浦并浦上本知行分田畠在家等」の地頭職を安堵されている(同年九月三日平某所領安堵状写)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浦上」の意味・わかりやすい解説

浦上
うらかみ

長崎市の中心市街北部の一地区。旧浦上山里(やまざと)村、西浦上村。JR長崎本線浦上駅がある。中世末からキリシタンの里で、江戸幕府弾圧開始後も信仰を守り続けたが、1790年(寛政2)以後4回の大きな弾圧を受けた(浦上崩れ)。1867~1868年(慶応3~明治1)の四番崩れがもっとも厳しく、全村総流罪(3394人)の受難にあい、1873年にやっと帰村している。明治時代は長崎市街地に隣接しながらも農牧を主としていたが、大正時代に入って三菱(みつびし)兵器製作所や三菱製鋼所の設立があり、都市化が進み、文教、住宅地区として発展した。1945年(昭和20)8月9日、原爆投下にあい、浦上を中心に半径4キロメートル圏内は大きな被害を受け、死者7万3884人を出し、街は焼失した。現在、浦上天主堂平和公園、長崎原爆資料館のほか、長崎大学医学部や長崎大学病院などがある。

[石井泰義]


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改訂新版 世界大百科事典 「浦上」の意味・わかりやすい解説

浦上 (うらかみ)

長崎市北部の浦上川に沿った盆地状の地域。かつての浦上村の範囲をさす通称名で,長崎本線浦上駅はあるが,現在の行政地名にはない。近世のキリシタン弾圧(浦上崩れ)下にあっても信仰を棄てなかった潜伏キリシタンが,長崎では浦上地域に多かった。再三の迫害に耐えた浦上キリシタンは,信仰の中心,浦上天主堂を30年の歳月を要して1925年完成した。第2次世界大戦中,三菱重工の製鋼所,下請工場が集中していたが,45年8月9日の原爆投下によって浦上は完全に焦土と化し,天主堂も焼失した。戦後30余年,被災地は復興し天主堂も再建され,爆心地付近には平和公園,長崎原爆資料館など原爆にちなむ諸施設がつくられ,観光長崎の焦点の一つとなった。盆地を取り巻く山腹は高度100mくらいまで宅地化が進み,住吉,浜口など地区中心商店街の発達が目覚ましい。また長崎大学の本部,教養部と4学部が北部の文教町に医学部,薬学部,大学付属病院が坂本にあり,浦上駅周辺には原爆病院,県総合福祉センター,陸上など各種競技場,室内体育館があって,学園,文化地区となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浦上」の意味・わかりやすい解説

浦上
うらかみ

長崎県南部,長崎市中心市街地の北部にある地区。時津-浦上構造線に沿う盆地状の小低地にあり,低地の中心を浦上川が南流して長崎湾に注ぐ。天正 12 (1584) ~16年にはイエズス会領とされ,カトリック布教の中心地の1つであったが,禁教後の信徒迫害の歴史は日本キリシタン史上特筆される。浦上天主堂は有名。昭和初期までカトリック信徒の多い一集落であったが,第2次世界大戦中,兵器工場が進出,1945年8月9日の原爆被爆の中心地となり,周辺はすべて灰燼に帰した。現在,爆心地は平和公園として整備され,長崎大学などがある文教・住宅地区。北西隅の滑石 (なめし) に大住宅団地がある。国道 34号線バイパスの完成によって諫早方面への交通が便利になった。浦上水源地は,西彼杵半島および大村市からも取水する水不足の長崎市にとって,重要な上水道源の1つである。

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百科事典マイペディア 「浦上」の意味・わかりやすい解説

浦上【うらかみ】

長崎県長崎市街北部地区。浦上川が流れ,長崎本線浦上駅がある。第2次大戦前三菱重工の製鋼所を中心とする重工業地であったが,1945年8月9日原子爆弾が投下され壊滅した。現在は国立長崎大学,浦上天主堂,原爆資料を陳列する原爆資料館などがある文教・住宅地区。キリシタンの地としても知られ,浦上崩れと呼ばれる迫害が18世紀末から明治初頭まで続いた。→浦上崩れ
→関連項目ビリヨン

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世界大百科事典(旧版)内の浦上の言及

【長崎[市]】より

…幅1km,奥行き4km,平均水深18mのリアス式湾入の長崎湾を抱くようにして山腹の急斜面にまで市街地が発達し,周縁部は金比羅(こんぴら)山,稲佐山など標高400m前後の長崎火山地によって囲まれている。おもな河川は南から大浦川,中島川,浦上川があり,いずれも小河川で沖積平野の発達は悪く,市街地にみられるわずかな平たん地のほとんどは,河口付近に形成された埋立地である。湾の東岸にある中心市街地は16世紀末,長崎港にポルトガル船が入港して以来,港町として,またキリシタン伝道の中心として発展し,鎖国時代においても日本で唯一の貿易港として栄えた。…

【肥前国】より

…大村純忠は長崎を竜造寺氏に奪われることを防ぐためと,ポルトガル船の長崎入港を固定化する目的で,79年長崎と茂木(もぎ)をイエズス会の教会領として寄進した。また有馬晴信も84年浦上を同じく寄進した。長崎,茂木,浦上は88年豊臣秀吉によって没収されるまでの8年間,イエズス教会領として支配された。…

※「浦上」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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