贄川番所(読み)にえかわばんしよ

日本歴史地名大系 「贄川番所」の解説

贄川番所
にえかわばんしよ

[現在地名]楢川村大字贄川

宝暦三年(一七五三)の「千曲之真砂」に「片平村にへ川橋を渡りて尾州公の関所有、関を越し、小坂をのほりてにへ川に入ル」とあるように、贄川番所は贄川宿の北端江戸方入口に設けられていた。贄川宿の町並をはずれた坂道の途中に番所跡がある。

贄川番所の創設は古く、木曾の南端妻籠つまごに設けられていた妻籠番所とともに戦国時代にさかのぼるといわれているが、はっきりした史料は残っていない。秀吉の時代石川備前守が木曾支配中にも、贄川には口留番所が設けられていた。慶長年間(一五九六―一六一五)福島ふくしま関所の創設とともにその添番所となったもので、慶長一九年の大坂夏の陣に山村氏は千村大炊左衛門重利に贄川口留を命じており、初めは山村氏の私設であったが、寛保元年(一七四一)幕府の公式関所になった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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