貞観寺跡(読み)じようがんじあと

日本歴史地名大系 「貞観寺跡」の解説

貞観寺跡
じようがんじあと

京都市伏見区にあった寺。跡地は「山城名勝志」に「今深草郷内有僧房村、按嘉祥寺貞観寺等僧房跡歟」とみえ、「拾遺都名所図会」には「今の瓦町の北なり、一説墨染寺の地貞観寺なり」とある。「新編法華霊場記」の「墨染寺」には「城南伏見の里深草山墨染寺は、はじめ貞観寺といひ侍り」とみえ、伏見区墨染すみぞめ町にある墨染寺一帯が寺域であったと思われる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建・寺領〕

三代実録」貞観一六年(八七四)三月二三日条に「夫貞観寺者、先皇仁寿之初、今上降誕之日、星垂長男之光、月有重輪之慶、故太政大臣美濃公(良房)、憂竜姿之不襁褓、憐鳳徳之未衣、与僧正真雅和尚私相謀、使諸仏之加持、修真言之秘密」とみえ、人臣初の摂政となった藤原良房が、娘明子(文徳天皇妃)の産んだ惟仁親王(のち清和天皇)加護のため、空海の弟子真雅と図って建立。当初、文徳天皇建立の嘉祥かしよう寺の西に嘉祥寺西院として建てられたが、貞観四年に貞観寺と改められた(「三代実録」同一四年七月一九日条)。年号寺院の一。時の最高実力者藤原良房を檀那とした当寺は、本寺たる嘉祥寺より隆盛したようで、良房没年の貞観一四年にかけて、良房および弟の藤原良相などにより、多くの所領が寄進されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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