豊野町(読み)とよのまち

日本歴史地名大系 「豊野町」の解説

豊野町
とよのまち

面積:一九・六〇平方キロ

上水内郡の東南部。北は大倉おおくら山塊をもって下水内郡豊田とよだ村及び三水さみず村、東北は千曲川中央をもって中野高丘たかおか地区、東南は上高井郡小布施おぶせ町、南はあさ川の中央をもって長野市赤沼あかぬま地区、西南は長野市よし三才さんさいの両地区、西北鳥居とりい川・白坂しらさか峠の丘峰及び北国脇往還をもって牟礼むれ村に接する。

町面積のほぼ三分の二は三〇〇―五〇〇メートル台の山地で占められ、鳥居川が北西から河谷をつくって東南に町を横断して千曲川に注ぎ、浅川が西南から東北へ長野市境に沿って流れて同じく千曲川に注ぐ。平地はこの鳥居川下流及び浅川の沿岸に展開し、善光寺平の西北隅を占める。

この地は、千曲川沿いに飯山市川谷いちかわだにに通ずる道(谷筋道すなわち飯山道)と鳥居川沿いに越後方面に通ずる道(川東かわひがし道・北国東街道、牟礼道)、また北国脇往還からこの地を縦断して長沼ながぬまを経て松代まつしろに通ずる道(北国脇往還の脇道すなわち神代道・松代道)などの交差する交通上の要衝で、近世にはそれぞれ浅野あさの宿・神代かじろ宿が成立した。集落は県道長野―豊野線の山麓沿いを中心に、これら旧街道沿線に散在し、国鉄豊野駅や飯山線浅野駅周辺には新市街地が形成されている。

この地域には先史時代の遺跡は少なく、古墳時代末期の小円墳が一二基ほど存在したことが確認されているが、石室の残存するのは豊野地区八雲台やくもだい古墳一基だけである。小円墳は大部分が標高四〇〇メートルの山腹にあって、豊野地区といし地区とに集中している。

豊野町
とよのまち

2000年7月1日:下益城郡豊野村が町制施行
【豊野村】熊本県:下益城郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報