豊室村(読み)とよむろむら

日本歴史地名大系 「豊室村」の解説

豊室村
とよむろむら

[現在地名]角田市豊室

角田本郷の西、小田おだ村の北にあり、西半分は斗蔵とくら山の北東に連なる山間地。同山から豊室川が北東へ流れ出る。天文四年(一五三五)四月一日の相馬局奉書(一条文書)伊具いぐ庄内として「とよむろ」がみえ、郷内の年貢八貫文のとさき在家が一条藤三郎に安堵されている。同七年の段銭古帳では段銭一〇貫四二五文。天文の乱の最中の同一五年二月一八日、豊室郷内いずみ屋敷・保宇屋敷等が伊達稙宗から定禅じようぜん(現仙台市)に寄進された(伊達正統世次考)。乱の後実権を掌握した伊達晴宗により、天文二二年一月一七日桑折播磨守に加恩として「とよむろ之裏、かけ田内之分、うちかた在家一間」が与えられた(「伊達晴宗安堵状」伊達家文書)。同年集成の晴宗公采地下賜録にも同じ安堵状の写が含まれる。そのほか豊室郷内の地では中野彦太郎に「すきもとへのうりちおつとうち在家」が加恩として下され、角張新介には「さかひ又四郎の分、一冬すミさいけ」、大和田与六郎には「下かもん知行の通あらひやしき一間」が下されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報