谷山郷(読み)たにやまごう

日本歴史地名大系 「谷山郷」の解説

谷山郷
たにやまごう

谿山郡の郷で、一郡一郷であった。鹿児島藩の直轄外城で、上福元かみふくもと村に地頭仮屋が置かれた。「三州御治世要覧」によると、伊佐智佐いさちさ郷と山田やまだ郷の二郷に分れ、前者平川ひらかわ村・塩屋しおや村・和田わだ村・下福元村上福元村の五村、後者なか村・山田村別府べつぷ村・宇宿うすき村の四村とされている。諸郷地頭系図によれば、伊地知右衛門兵衛重勝を初代地頭とする。寛永一三年(一六三六)の堺目人数・武具注文(旧記雑録)では人数五千四一七(うち男三千二三八)、鉄砲九二丁・弓四九張・鑓四本。同一六年の衆中高二千七三三石余、うち寺家分一一六石、衆中二二二、うち知行持一八二・一ヶ所取三七・寺家三。

谷山郷
たにやまごう

和名抄所載の郷。高山寺本・名博本は「谷山」、伊勢本・東急本は「谷上」とする。「大日本地名辞書」は不詳としつつも、谷山村(現鹿児島市)北部上福元かみふくもと中村なかむら五箇別府ごかべつふなどとする。「日本地理志料」は当郷に谿山郡の郡家があったとし、谷山村に相当するとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報