鹿児島郡(読み)かごしまぐん

日本歴史地名大系 「鹿児島郡」の解説

鹿児島郡
かごしまぐん

面積:二一九・七〇平方キロ(境界未定)
吉田よしだ町・桜島さくらじま町・三島みしま村・十島としま

近世の郡域は薩摩国の中央東部に位置し、東は鹿児島湾に面し、北は大隅始羅しら郡、西は薩摩国日置郡、南は同国谿山たにやま郡に接したが、明治二二年(一八八九)に当郡を割いて鹿児島市が成立し、以後同市への編入や郡域の変更により現郡域となった。近世の鹿児島郡に属したのは現鹿児島市の北半部のほか、同市の北に位置する吉田町であった。桜島町は大隅国大隅郡に属した桜島の西半部にあたり、三島村・十島村は薩摩国河辺郡に属した島々からなる。麑島とも記された。鹿児島の地名の由来に関して海幸・山幸神話にもとづくとか、鹿の子が多かったことによるという伝承のほか、鹿児島神宮・鹿児山かごやま(現隼人町)に関連するという説もあるが、桜島の古名とするのが妥当とされる。カゴの意味は燃える火(炎)を示し、カガヨヒ、カグツチ、カギロヒなどと同根とされる。

〔古代〕

天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)みえる隼人十一郡の一つ。名博本「和名抄」はカコシマと読む。東急本・名博本は鹿児嶋、高山寺本・伊勢本は麑嶋とする。都萬つま郷・在次ありつぐ郷・安薩あさつ郷の三郷からなる。大宰府跡から八世紀前半の「麑嶋六十四斗」の木簡が出土している。天平宝字八年(七六四)大隅国と薩摩国の国境付近で噴火が起こり、麑嶋信爾村の海に三つの島ができた(「続日本紀」同年一二月是月条)。これによって麑嶋とよばれる地域が、大隅と薩摩の国境付近に所在したことがわかる。「大日本地名辞書」「日本地理志料」「鹿児島県史」は、「延喜式」神名帳に大隅国桑原くわはら郡鹿児島神社がみえることから、もとの郡域は前掲鹿児島神宮が鎮座する現隼人はやと町付近から近世の鹿児島郡(谷山地区を除く現鹿児島市など)方面までにかけてであったが、和銅六年(七一三)に大隅国が設置されると北東部が大隅国に編入され、ほぼ近世の鹿児島郡の地域のみが薩摩国に残ったとする。また現在の稲荷いなり川流域に一郷、甲突こうつき川流域に一郷、田上たがみ(新川)流域に一郷あったが、それぞれ何郷に相当するかは不明で、郡家は現鹿児島市の郡元こおりもと村・なか村など近世の村名から一之宮神社から鹿児島大学の郡元キャンパスにかけての地域に所在したとする説がある。

〔中世〕

薩摩国建久図田帳によれば、鹿児島郡三二二町は島津庄寄郡であった。内訳は寺領三七町五段(下司僧安静)・社領八〇町・府領社七町五段(下司前内舎人康友)・公領一九七町(郡司前内舎人康友・地頭右衛門兵衛尉)となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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