角山村(読み)かどやまむら

日本歴史地名大系 「角山村」の解説

角山村
かどやまむら

[現在地名]油谷町大字角山

油谷湾の奥、向津具むかつく半島の付根に位置し、西は油谷湾、東は蔵小田くらおだ村、北は後畑うしろばた村に接する。先大津宰判に所属する。

慶長五年(一六〇〇)、同一五年の検地帳にはともにその名がみえない。寛永三年(一六二六)の熊野帳では蔵小田村と合わせて高一千八〇九石、屋敷数一二五とあるから、慶長期にも蔵小田村に含まれて記されたものと考えられる。その後も独立村としての高付はなく、「注進案」で村内の蔵入地が日置下へきしも村・蔵小田村とを合わせて注進され、別に後畑村と合わせての記載もある。

角山村
かくやまむら

[現在地名]小川町角山・みどりがおか

かぶと川を挟んで大塚おおつか村の北、小川盆地の北部に位置し、西は原川はらがわ村。玉川たまがわ領に属した(風土記稿)。天文一六年(一五四七)一一月一九日に武蔵府中の六所ろくしよ宮の祭事に参集すべき人数などを書上げた覚書(写、野々宮神社文書)のなかに「八番かくやま 右近殿」とみえる。

田園簿では田高八七石余・畑高五〇石余、ほかに紙舟役永二五〇文が課せられ、幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報