観勝寺(読み)かんしようじ

日本歴史地名大系 「観勝寺」の解説

観勝寺
かんしようじ

京都市左京区の東岩倉ひがしいわくら(大日山)にあった寺で、東岩倉寺ともよばれた。年月日未詳の東岩蔵寺僧衆等申状案(大覚寺文書)によれば、行基の開基で、本尊は行基作の千手観音。覚賢(仁和寺西院二代任覚か)のとき補陀落山の瑞相が現れ、行円のときには不動尊・毘沙門天石像が現出。大円のときに八幡大菩薩が出現したが、その霊異により仙院后宮などから信仰されたという。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔大円による中興〕

大円は良胤と称し源頼政の裔、文永五年(一二六八)観勝寺に入る。正応三年(一二九〇)亀山上皇は大円について落髪し秘密灌頂を受けたとされる(本朝高僧伝)。「塵添嚢抄」には「亀山院ノ貴寵し給き。仍当山ヲ再興シ給ヘとて領所ノ寄給へは、固辞シテ不受給(中略)僅ニ山谷を賜りて寺家の境内とし、総山をは堅ク辞申」とあり、大円が荒廃していた当寺を亀山院の帰依を受けて再興したものであろう。「観勝寺ノ大円房上人」あるいは「観勝寺ノ上人」として「沙石集」にも登場する。また「山州名跡志」は「文永五年戊辰九月ノ比、東山光堂光明院中興太円上人住居ス。時則チ亀山ノ上皇有、禅林寺殿ニ居シ玉フ。禅林寺ハ今ノ南禅寺也。当山以よりより 有臨幸、上人ト御清談アリ。遂ニ以東岩倉寺、為勅願寺、本尊ハ聖観音、聖徳太子ノ作」と、亀山院により勅願寺とされたと記す。いま一つ大円中興とされる東山ひかり光明こうみよう院とは崇徳院を祀る御影堂とそれを護持する寺で、「愚管抄」巻五に「御影堂トテ綾小路河原ナル家ニツクリテ、シルシドモ有リ」とある綾小路あやこうじ河原(建仁寺の北西一帯)に所在したもの。または聖護しようご(現京都市左京区)辺からのち粟田あわた郷に移され粟田宮(崇徳院社)と称されたものと考えられ(建久三年一一月一六日「宣旨案」後慈眼院殿御記)、この名跡を継承して東岩倉山内に観勝寺を構成する子院として再興されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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