西馬音内堀廻村(読み)にしもないほりまわりむら

日本歴史地名大系 「西馬音内堀廻村」の解説

西馬音内堀廻村
にしもないほりまわりむら

[現在地名]羽後町西馬音内堀回

西馬音内川谷口扇状地に位置し、西に出羽丘陵を負う。東は西馬音内前郷にしもないまえごう村、山越えに北は水沢みずさわ村、西は田代たしろ村、南は田沢たのさわ村と接する。

谷口の元城もとき(元木)から土師器などを出土火葬墓も発見されて、「続日本紀」にいう「雄勝村」「雄勝城」と関連する要地とみる説が有力となっている。南東横河よこかわ駅(現雄勝町横堀よこぼり寺沢てらさわ辺り)、北西由利柵ゆりのき(推定現本荘市)を控え、近隣に雄勝城跡とも擬定される足田たらだ遺跡がある。村内の御嶽みたけ(御嶽神社)は古くから山岳信仰の場となっており、元徳二年(一三三〇)以降の銘をもつ数基の板碑がある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に西馬音内のうち城廻村とみえ、高の記載はない。享保一四年(一七二九)の雄勝郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には、当村と西馬音内前郷村の関係について次のように記す。

<資料は省略されています>

宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)では西馬音内城廻村とあり、高は本田一千一八一石四斗九升五合、新田一六九石六斗四升四合、合計一千三五一石一斗三升九合(当高一千五二八石一斗六升九合)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報