西明寺(京都市)(読み)さいみょうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西明寺(京都市)」の意味・わかりやすい解説

西明寺(京都市)
さいみょうじ

京都市右京区梅ヶ畑槇尾(まきのお)町にある真言(しんごん)宗大覚寺派の準別格本山。槇尾山と号する。西山槇尾平等心王院(びょうどうしんのういん)ともいう。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。空海の十大弟子の一人智泉(ちせん)が神護寺(じんごじ)の別院として創建した。高山寺の明恵(みょうえ)も一時止住。その後荒廃したが、建治(けんじ)年中(1275~78)に和泉(いずみ)国(大阪府)槇尾山の自性上人(しょうにん)が再興した。1290年(正応3)後宇多(ごうだ)法皇は新たに堂宇を建立し、愛染明王(あいぜんみょうおう)を安置して平等心王院と称したが、その後衰えて一時は神護寺に合併された。1602年(慶長7)明忍(みょうにん)律師が再建して戒律の道場に改めた。1699年(元禄12)に5代将軍徳川綱吉(つなよし)の生母桂昌院(けいしょういん)が堂宇を寄進したのが現存の本堂、庫裡(くり)、経蔵、八幡宮(はちまんぐう)などの諸堂であるというが、異説もある。寺宝に木造釈迦如来立像、木像千手観世音(せんじゅかんぜおん)立像(ともに国の重要文化財)、草書(そうしょ)心経などがある。

[祖父江章子]

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