西方城跡(読み)にしかたじようあと

日本歴史地名大系 「西方城跡」の解説

西方城跡
にしかたじようあと

[現在地名]西方村本城

現西方村の中央やや東寄りにあるしろ(二二一・三メートル)の山頂から東麓の大字本城ほんじようにかけて築かれた山城。つるおか城ともいわれる。城山足尾あしお山地の東末端にあたり、小倉おぐら川流域の平野を一望に収める。山頂から南北に八つの郭を連ね、それぞれは土塁・堀切土橋をもって区切られる。北端は北の丸、中央部は本丸南端武者溜とよばれる。西の丸・東の丸を備えるほか、南東の標高一五〇メートルの地点には近世初頭藤田重信(信吉)が居城したという二条にじよう城跡がある。

西方城跡
にしがたじようあと

[現在地名]阿南市長生町 西方

西潟城とも書く。平野部に突き出した山尾根の先端に築かれた中世の山城跡。山の北斜面は急傾斜となり、その裾を流れるおか川が外堀の役目を果している。標高一二五メートルの頂上に東西約三〇メートル・南北約二七メートルの本丸に相当する曲輪を配し、周囲には土塁や櫓台が設けられ、その西方尾根続きには大小二条の堀切が設けられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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