西寒川村(読み)にしさんがわむら

日本歴史地名大系 「西寒川村」の解説

西寒川村
にしさんがわむら

[現在地名]伊予三島市寒川

嶺北れいほくの中央部に位置し、法皇ほうおう山脈の山嶺から海岸にかけての集落。現寒川町の西部を占める。東は東寒川村、南は法皇山脈の嶺を境に寒川山さんがわやま村、西は大町おおまち村に接し、北はひうち灘に面する。

地名の初見は「南海流浪記」の宝治二年(一二四八)の条の「寒川地頭」の御堂建立で、さらに貞和五年(一三四九)の足利尊氏の出した下文の中に、津根つね庄の一部として「寒河村」とみえる(→東寒川村。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇摩うま郡の項に「西寒川村 日損所、柴山有」とあり、これが分村後の村名の初見である。

村名の由来は「西条誌」によると、大和国長谷はせ郷の神川かんがわ浦の長谷はせ寺のこころみの観音が当村に流れついたので、初め神川といったのを寒川と誤記して、これが村名となったという。

和名抄」にみえる宇摩郡山口郷に属したとされる。中世には地頭が観音堂を再建しているし、津根庄の一部として開けていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報