西ノ庄町(読み)にしのしようまち

日本歴史地名大系 「西ノ庄町」の解説

西ノ庄町
にしのしようまち

[現在地名]大津市西の庄・昭和町しようわちよう

ふな町の東に続く町で、西ノ庄村域に町割が行われた。元禄一五年(一七〇二)の膳所総絵図(中村家蔵)町名みえ、町並一八〇間余、家数三四。寛政一二年(一八〇〇)当時は一一九間余(法伝寺文書)。幕末膳所城下図では街道の南側に法伝ほうでん寺・八大龍王はちだいりゆうおう社、北側に桃源とうげん寺・天満宮がみえ、湖岸には高木たかぎ浜と記される。法伝寺は真宗仏光寺派で、天智天皇三年(六六四)創建と伝え、天長九年(八三二)茶臼ちやうす山に移った滋賀寺を前身とし、元和二年(一六一六)現在地に移建したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報