(読み)アコメ

デジタル大辞泉 「衵」の意味・読み・例文・類語

あこめ【×衵/×袙】

中古男子中着束帯のときは下襲したがさねひとえとの間に、衣冠直衣のうしのときにはほう直衣と単との間に着用した。打衣うちぎぬ
女子の中着。表着うわぎと単との間に着用した。
女児上着として着用した、うちきより裾を短く仕立てた衣服
[補説]「あいこめ」の略で、衣服の間に込めて着る衣の意という。

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改訂新版 世界大百科事典 「衵」の意味・わかりやすい解説

衵 (あこめ)

(1)衵は中国で古代から着用されていた衣服で(《左伝》宣公9年,《後漢書》禰衡伝),日々の常衣とするもの(説文),近身衣の肌着であった。日本では〈あこめぎぬ〉または〈あこめ〉と呼び(《和名抄》),唐風の様式からかなり変化して王朝時代に現れた。束帯衣冠直衣のうし),狩衣などの下に用いられ,下襲(したがさね)の下,(ひとえ)の上の間に着たものであった。間に入れて着るので,あいこめ(間籠)の略された言葉であるという説もある。襟は垂領(たりくび)で,一幅の広袖のもの,綿を入れたり,2~3枚重ねたりして,寒い冬に下着としたらしい。後世には,束帯のみに用いたり,またこれを省略することもあった。春,冬のもので,夏,秋には単衣で引倍木(ひへぎ)といった。天皇は打衣(のちに板引になった)で,紅綾に小葵の紋のものであった。臣下は表紅綾,裏紅平絹であったが,老年で許されれば白,壮年には萌黄(もえぎ),薄色などもあった。(2)中国では〈女人近身衣也〉(《唐韻》)とも記され,婦人服でもあったが,日本でも女房装束とされていた。古くは女房の表着と単との間にこれを用いた。ことに童女は汗衫(かざみ)の下着にしていた。それがのちには女装の表着にもなり,童女や一般の日常にも着用された。

(3)衵扇と書いて〈あこめおうぎ〉,あるいはたんに〈あこめ〉と呼んだものがあった。男子が用いる檜扇(ひおうぎ)と同様に,衵姿の女性が持ち,ときには高貴の子弟である少年も用いた。ヒノキ板を幾枚かで扇をつくり,これに極彩色で絵をかいたもので,熊野速玉大社などにも古い遺物が残っている。27~28枚のもので,とじられてはいるが,遺物にも古画にも飾糸はなかったように思われる。近世になると,39枚のものにもなり,糸花飾りが大きく加えられ,大翳(おおかざし)と呼ばれるようになった。

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百科事典マイペディア 「衵」の意味・わかりやすい解説

衵【あこめ】

平安時代の公家男子の礼服。束帯(そくたい)のとき下襲(したがさね)と単(ひとえ)の間に着る。衿(えり)は垂領(たりくび),広袖で,冬は表綾(あや),裏平絹(ひらぎぬ),夏は裏がなく,紅色が主で,文様は菱小葵(あおい)などがある。後世は多く束帯構成より省略する。また女房装束の中着のこともいい,童女の常着にもされた。地は綾,平絹,薄物などがあり,色目は不定,文様も自由であった。
→関連項目衵扇

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「衵」の意味・わかりやすい解説


あこめ

束帯女房装束に用いられた下着の一種。衵は間籠の衣 (あいこめのきぬ) の意味で,間に着込める,つまり中間着である。男の束帯の場合は下襲 (したがさね) と単衣 (ひとえぎぬ) との間に着用し,女房装束では表着と単との間に着用するが,形態はそれぞれ異なる。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【衣】より

…たとえば〈かりごろも(狩衣)〉から〈かりぎぬ〉に発展したのなどがその例である。このような観念は平安時代まで受け継がれて,一般的に上級の衣服の総称となって〈うえのきぬ(袍)〉〈あこめきぬ(衵)〉などのように称された。しかるに,いつかこの一般的な〈きぬ〉という名称が平安時代からは袍(ほう)や唐衣(からぎぬ)の下に着る実用的な衣服をさすこととなって,(うちき)や(あこめ)をただ〈きぬ〉とのみいうようにもなった。…

【束帯】より

…武家も将軍以下五位以上の者は大儀に際して着装した。束帯の構成は(ほう),半臂(はんぴ),下襲(したがさね),(あこめ),単(ひとえ),表袴(うえのはかま),大口,石帯(せきたい),魚袋(ぎよたい),(くつ),(しやく),檜扇,帖紙(たとう)から成る。束帯や十二単のように一揃いのものを皆具,あるいは物具(もののぐ)といった。…

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