衣村(読み)きずりむら

日本歴史地名大系 「衣村」の解説


きずりむら

[現在地名]東大阪市衣摺一―六丁目・大蓮東おおはすひがし一丁目・渋川しぶかわ町三―四丁目・柏田西かしたにし三丁目・吉松よしまつ二丁目

渋川郡に属し、長瀬ながせ川左岸の自然堤防上にある。南は大蓮おばつじ村、正覚寺しようがくじ(現平野区)。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀七月条に、物部守屋蘇我馬子と戦った時、稲城を築き「衣揩」の朴の枝の股に登って矢を射たとある。「衣揩」は「衣摺」であるといわれる。稲城の所在地を当地とする説(日本地理志料)もある。「四天王寺御手印縁起」によると、守屋滅亡後その田荘を没収して四天王寺(現天王寺区)領としたという。このうちに「衣摺地肆万玖佰伍拾代」があげられ、同地内に「衣摺里玖箇坪、肆仟伍佰代」がある。


きすりむら

鎌倉・室町時代にみえる地名。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文では朝来郡国衙分に、「衣摺社 十町五反二拾分」とみえ、「地頭小比良大夫局」の注記があり、内訳は神田四町四反、地頭給一町、公文給五反、定田四町六反二〇歩である。次いで応仁元年(一四六七)一一月二七日、将軍足利義政は御判御教書をもって、いったん没収していた陰陽道の長日祈祷料所を土御門有宣に返付しているが、その中に「但馬国朝来郡東河庄并衣摺村」が含まれる(土御門文書)

衣村
きんむら

[現在地名]三田川町大字田手たで字衣村

田手川東部の平野部に位置する。正保絵図に村名がみえる。宝暦―天明年間(一七五一―八九)郷村帳には「上東郷」の一部となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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