蟹田村(読み)かにたむら

日本歴史地名大系 「蟹田村」の解説

蟹田村
かにたむら

[現在地名]蟹田町蟹田

東は陸奥湾に面し、南は広瀬ひろせ(現蓬田村)、西は小国おぐに村、北は蟹田川を隔てて中師ちゆうし村。貞享四年(一六八七)検地帳に村高三四四・九八八石、うち田方二一一・二三六石、畑方一三三・七五二石、田畑とも中・下田が多く、この地区では生産の多いほうである。元禄三年(一六九〇)には後潟組に属し、村位は下(平山日記)

松前街道の駅次となっており、小村ながら藩の木材移出の重要港として九浦の一つで、町奉行・沖横目・山奉行を置いて管理した。「津軽家御定書」に

<資料は省略されています>

とあり、また次のように記される。

蟹田村
かにたむら

[現在地名]勝浦市蟹田

芳賀はが村の西に位置し、大多喜おおたき往還が通る。寛文四年(一六六四)の阿部正春領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、武蔵岩槻藩領。元禄郷帳では高八四石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高八八石余で家数二五、三卿の清水領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報