藤枝外記(読み)ふじえだ・げき

朝日日本歴史人物事典 「藤枝外記」の解説

藤枝外記

没年:天明5.7.9(1785.8.13)
生年:宝暦8(1758)
江戸中期の旗本。名は教行,通称安十郎。旗本徳山貞明の8男で,同じ旗本の藤枝貞雄の養子となり,安永2(1773)年家督を継いで武蔵・相模国で4000石を知行した。吉原江戸町1丁目の妓楼大菱屋九右衛門抱えの遊女綾絹になじんで通い詰め,天明5(1785)年箕輪心中した。当時は旗本や御家人遊興うつつを抜かし,問題を起こす者が多く,とかくの噂をよんだが,この事件は特に江戸人士の耳目を集め,「君と寝ようか五千石とろか,何の五千石君と寝よ」と俗謡に歌われた。

(宇田敏彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤枝外記」の解説

藤枝外記 ふじえだ-げき

1758-1785 江戸時代中期の武士
宝暦8年生まれ。旗本徳山貞明の8男。旗本藤枝貞雄(さだお)の養子となる。天明5年8月14日江戸吉原の大菱(おおびし)屋の遊女綾衣(あやぎぬ)と心中,藤枝家は改易(かいえき)となった。28歳。「君と寝ようか五千石とろか,何の五千石君と寝よ」と俗謡にうたわれ,箕輪(みのわ)心中として知られる。名は教行(のりなり)。通称は別に安十郎。

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