藤崎宮富講場跡(読み)ふじさきぐうとみこうばあと

日本歴史地名大系 「藤崎宮富講場跡」の解説

藤崎宮富講場跡
ふじさきぐうとみこうばあと

[現在地名]熊本市宮内

雑華錦語集(国誌)によれば、最初は宝暦三年(一七五三)熊本城西端、宮内の薬師みやうちのやくし坂下で行われ、明和七年(一七七〇)から藤崎八旛宮(現藤崎台球場付近)の社内で興行された藩立の富講場。宝暦三年の初興行に際し出された規則書(同書)に「藤崎宮永代修覆ノ為メ富講一ケ年六度初富三月中於社前興行ノ事」とある。富籤の内容は「一札高三万五千枚壱枚ニ付六拾銅宛此内拾銅ハ札売料ニ渡候事 一褒美ノ口銭ハ壱割五分引ケ尤右札寄ノ儀三月十五日ヨリ廿日迄ノ事」とあり、褒美金は二五貫一〇〇目、二五一本が当選した。富会所の世話人中古なかふる町油屋太郎左衛門、細工さいく町油屋善五郎、同町村屋喜左衛門が携わった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報