藤原範季(読み)ふじわらののりすえ

朝日日本歴史人物事典 「藤原範季」の解説

藤原範季

没年:元久2.5.10(1205.5.30)
生年大治5(1130)
平安末・鎌倉前期の公卿。従四位下能兼の子。兄範兼の猶子となる。後白河院の近臣で,九条兼実にも仕えた。姪の範子と共に,高倉天皇の皇子尊成(後鳥羽天皇)を養育し,その即位にもかかわっていた。源頼朝の弟範頼を養子として育てたことから,武士の動向にも通じていたが,文治2(1186)年11月,源義経にくみしたことで解官された。娘重子(修明門院)が後鳥羽天皇との間に守成(順徳天皇)を生んだ直後の建久8(1197)年12月,後鳥羽天皇の侍読の労として従三位に叙され,さらに従二位に至ったが,政治的な活動はみられない。死後,順徳天皇の即位によって,左大臣正一位を追贈された。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原範季」の解説

藤原範季 ふじわらの-のりすえ

1130-1205 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
大治(だいじ)5年生まれ。式部少輔(しょう)藤原能兼(よしかね)の3男。兄範兼(のりかね)の養子。後白河上皇の近臣で,九条兼実(かねざね)の家司(けいし)もつとめた。娘重子(修明門院)が後鳥羽(ごとば)天皇の後宮にはいって順徳天皇を生んだため,外祖父として従二位にすすむ。高倉(藪(やぶ))家の祖。元久2年5月10日死去。76歳。正一位,左大臣を追贈された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android