藤原愛発別業跡(読み)ふじわらなりときべつぎようあと

日本歴史地名大系 「藤原愛発別業跡」の解説

藤原愛発別業跡
ふじわらなりときべつぎようあと

[現在地名]久御山町大字藤和田

御牧みまき西部藤和田ふじわだの地にあったと伝える平安時代の公家藤原愛発の別荘跡。

「続日本後紀」承和一〇年(八四三)九月一六日条によれば、藤原愛発は大納言藤原真楯の孫で、藤原内麻呂の第七子。承和七年に大納言に任ぜられたという。しかし承和九年秋、伴健岑謀反(承和の変)に連座して、山城国久勢くぜ別墅に退去して、同一〇年九月に没した。同書に「至九年秋、連逮伴健峯謀反事、出于京外、在山城国久勢郡別墅而薨焉、時年五十七」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報