薬師寺氏(読み)やくしじうじ

改訂新版 世界大百科事典 「薬師寺氏」の意味・わかりやすい解説

薬師寺氏 (やくしじうじ)

下野の中世武家。小山(おやま)氏支族小山朝政の孫朝村が,寛喜年間(1229-32)下野河内郡薬師寺の地に城を築き,ここを本拠として,薬師寺氏を名のったことに由来する。南北朝内乱期に高師直に仕えた薬師寺公儀(義)が有名。公儀は観応の擾乱(じようらん)のさい師直方としてたたかったが,1351年(正平6・観応2)2月兵庫御影浜の合戦のさいにおける師直への諫言が入れられず,高野山へ逃れて出家し(法名元可),ほどなく本領へ帰った。同年4月,子衛門三郎公光とともに日光中禅寺に6間四面の宝殿を造営し,無事の帰国を謝した。師直の死後宇都宮公綱とともに足利尊氏方として働き,駿河薩埵山の合戦で直義軍を破った。私家集《元可法師集》1巻を残した。以後,薬師寺氏は,宇都宮氏に属し活躍した。
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