蓮馨寺(読み)れんけいじ

日本歴史地名大系 「蓮馨寺」の解説

蓮馨寺
れんけいじ

[現在地名]川越市連雀町

孤峰山宝地院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。永禄元年(一五五八)大道寺政繁が一族の感誉存貞を開山として建立した建立けんりゆう(のち見立寺と改める)の地に、母蓮馨尼の菩提を弔うため、母尼が先に平方ひらかた(現上尾市)に建立していた蓮馨寺を移し、見立けんりゆう寺をその境内の寺としたものという(風土記稿)。見立寺はのち高沢たかざわ町に移された。檀越の大道寺家滅亡後は天正一八年(一五九〇)五月豊臣秀吉から禁制を得ている(「豊臣秀吉禁制」寺蔵文書)。同一九年には徳川家康から寺領二〇石の朱印状を与えられている(「徳川家康朱印状写」同文書)家康はまた川越城主酒井重忠に対して蓮馨寺の面倒をみるよう指示しており(「全阿弥書状」同文書)、以降も代々将軍から松郷まつごう地内で寺領二〇石の朱印状を得ている(田園簿ほか)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蓮馨寺の言及

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

※「蓮馨寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」