蓮華三昧院(読み)れんげさんまいいん

日本歴史地名大系 「蓮華三昧院」の解説

蓮華三昧院
れんげさんまいいん

[現在地名]高野町高野山

かつては蓮華谷光明こうみよう院の東方にあり、蓮華谷の称はこの院に由来。明治の大火で焼け、現在は名跡遍照光へんじようこう院が有している。旧地には明遍上人廟堂が残る。本尊阿弥陀如来。準別格本山。御庵室ごあんじつともよばれ、名室の一(続風土記)開基は明遍と伝え、鎌倉時代の信堅院号帳に「蓮花谷、然云蓮華三昧院 佐崎四郎左衛門入道高綱建立也、大将殿之時也、明遍上人之居所」とあり、仁治元年(一二四〇)一〇月日の虚仮阿弥陀仏寄進(金剛三昧院文書)に「以件得分余剰欲宛置同寺蓮華三昧院毎月仏聖灯油并寺僧供料等、此院者為伯父之建立更無一灯之支、幸待御善根之次欲訪父祖并伯父之後生寄進之」とある。虚仮阿弥陀仏は佐々木高綱の甥信綱のこと。これらにより当院は高綱の建立であることは明らかだが、高綱の高野入山は建久(一一九〇―九九)の初め頃と考えられている。佐々木家の歴史を記した「江濃記」雲州佐々木由来事に、高綱は「出家入道して紀伊国高野山に籠り、をこなひすまして居たりしが、或時高野を立出」とあるようにのち高野山を去るが、それは建久六年のことと推定されており、このとき明遍に住房を譲ったものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報