葉郡(読み)ならはぐん

日本歴史地名大系 「葉郡」の解説

葉郡
ならはぐん

和名抄磐城郡楢葉郷が昇格したもので、磐城郡からの分郡時期は平安時代末期と思われるが不明。東は太平洋に面し、南は磐前いわさき郡・磐城郡、西は田村郡、北は標葉しねは郡に接する。海岸平野は狭長で海食崖が連続している。北から順に富岡とみおか川・木戸きど川・浅見あさみ川・大久おおひさ川が東流する。現在の双葉郡楢葉町・富岡町・広野ひろの町・川内かわうち村といわき市久之浜ひさのはま町・大久町・川前かわまえ町の地。楢葉町の天神原てんじんばら遺跡は弥生時代中期の東日本最大の墓地で県指定史跡、出土品(土器棺三三点ほか)は国指定重要文化財。

〔中世〕

建武四年(一三三七)五月日の相馬胤時軍忠状(相馬文書)に「四月一日建武四、於楢葉郡八里原合戦羽鳥太郎楯追落畢」とみえる。同年八月日の相馬朝胤軍忠状(大悲山文書)にも「四月一日建武四楢葉八里浜」とある。同年一〇月一五日の伊賀盛光代贄田盛行軍忠状(飯野八幡宮文書)には「楢葉郡朝賀城」とあり、現富岡町の朝賀ちようか(手岡)城が攻め落されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報