萱野郷(読み)かやのごう

日本歴史地名大系 「萱野郷」の解説

萱野郷
かやのごう

箕面市南部の山麓地帯に位置した郷。豊島てしま郡北条に属し、郷内を西国街道が東西に通り、律令駅制の草野すすき駅はここにあったとされている。

〔中世〕

平安時代中期、この地方に摂関家領垂水たるみ牧が設置されると、その西牧に加えられ、「垂水西御牧萱野郷」と称せられた(元暦元年九月日「垂水西牧萱野郷百姓等解」春日大社文書)。寿永二年(一一八三)垂水西牧は奈良春日社に寄進され、萱野郷も春日社領として御供料の年貢公事夫役をつとめたが、当郷百姓が「当御牧者、牧内加納相交、雖所役異、皆是殿下政所御進止也」と述べているように、摂関家(近衛家)本所として当牧を支配した(同百姓等解)。垂水西牧は本来の牧地である「牧内」と、国役を免除されて牧役を負担する「加納」と、二種類の土地が相交わり、その所役を異にしていた(同百姓等解)。萱野郷内も同様で、鎌倉時代の文書に「萱野郷本牧内」および「萱野郷加納内」などの土地区分表記がみられる(弘安七年一〇月三日「比丘尼明心寄進状」勝尾寺文書。以下同文書については個別文書名のみを記す)。一方、郷内には加地子徴収権をもつ下級領主の私領があり、源平合戦の頃当郷内加納の法泉ほうせん寺領や石丸いしまる名は陸奥判官殿(源義経)の所領となっていたが、元暦元年(一一八四)義経の代官山二郎房という者が、判官殿の仰せと称して牧の所役を押止め、領主の雑役賦課を強行したので、萱野郷百姓らはその不法を訴え、義経による狼藉停止の裁定を得た(前出百姓等解)

鎌倉時代の近衛家領・春日社領萱野郷は萱野庄とよばれる場合もあったが(寛喜二年一二月日禅定殿下政所下文)、その内部はさらに萱野西庄(承久二年一二月七日中臣貞元田地売券)、萱野北庄(貞永元年一二月一八日沙弥信誓畠地寄進状)かやの村内石丸庄・萱野郷内石丸御領(欠年勝尾寺年行事書状案)、萱野今宮いまみや(建治二年一一月一六日萱野今宮銭米上日記)などと各地区に区分されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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