菖蒲町(読み)しようぶまち

日本歴史地名大系 「菖蒲町」の解説

菖蒲町
しようぶまち

面積:二七・三七平方キロ

南埼玉郡の北西部に位置し、都心から四〇キロ圏内。東は備前びぜん堀川を境に久喜市、南は白岡しらおか町・蓮田市に接し、西は桶川市・鴻巣市と元荒川を境にし、北は北埼玉郡騎西きさい町・加須かぞ市に接する。大宮台地が北方の加須低地に移行する地域にあり、概して低平な地形をなしている。中央部を北西から南東に向かってほし川が流れ、東部を庄兵衛しようべえ川、西部を野通やどおり川が流れる。国道一二二号が蓮田市から騎西町へ貫通、桶川市から久喜市へ主要地方道川越―栗橋線が東西に走る。

町域には元荒川の左岸に発達している栢間かやまの埋没台地、野通川右岸の小林おばやし埋没台地、星川左岸の菖蒲埋没台地の三つの埋没台地があり、それぞれの台地に遺跡が所在している。栢間の埋没台地には、縄文時代中期から後期にかけての集落跡である小塚こづか遺跡がある。弥生時代後期の遺物としては神明神社社叢付近から土器破片が採集されているが、竪穴住居跡などはまだ発掘されていない。古墳は、前方後円墳の天王山塚てんのうやまづか古墳・夫婦塚めおとづか古墳のほか円墳五基が残存して、栢間古墳群を形成している。なお、これらの古墳の周辺からは人物埴輪などが発見されている。小林埋没台地には、縄文時代後期から晩期にかけての集落跡である地獄田じごくだ遺跡がある。

菖蒲町
しようぶちよう

[現在地名]中央区日本橋浜町にほんばしはまちよう三丁目

新大しんおお橋の西詰に位置する。同橋の西詰の火除地だったが、明治維新後新大橋助成地とされ、明治四年(一八七一)隣接武家地を編入し、菖蒲町と改称。新大橋と川口かわぐち橋との間の隅田川西岸の河岸地は菖蒲河岸と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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