荊津村(読み)おどろつむら

日本歴史地名大系 「荊津村」の解説

荊津村
おどろつむら

[現在地名]久留米市大善寺町中津だいぜんじまちなかつ

住吉すみよし村の南、ひろ(大善寺川)右岸に位置し、西は中島なかしま村。蕀津とも書く。中世は三潴庄とう郷のうち。永仁四年(一二九六)一二月日の玉垂宮并大善寺仏神事記文(御船文書/鎌倉遺文二五)によると大善だいぜん玉垂たまたれ宮の春祠使幣官料六斗・三月朔幣料五斗(在公神楽)の神事用途を負担し、五月会で村田楽・尻巻・左方相撲を出し、九月一九日の九月会では夜明よあけとともに二十番の頭役を務めその料田二反四丈があった。当地を名字の地とする領主として荊津氏が知られる。元亨二年(一三二二)三月七日、荊津次郎入道は「筑後国大隈四王寺」をめぐり、香西駒松丸に訴えられている(「鎮西御教書写」大隈文書/鎌倉遺文三六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android