日本歴史地名大系 「茂浦村」の解説
茂浦村
もうらむら
[現在地名]平内町茂浦
東は半島の脊梁山脈で
<資料は省略されています>
嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」に「是より山伝ひ田道を下りて蒲浦、漁家のミ也。しかれ共少し磯際に田有故に是を耕すよし。人家随分富り」とある。
茂浦から北方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東は半島の脊梁山脈で
嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」に「是より山伝ひ田道を下りて蒲浦、漁家のミ也。しかれ共少し磯際に田有故に是を耕すよし。人家随分富り」とある。
茂浦から北方の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新