芥見村
あくたみむら
[現在地名]岐阜市芥見・芥見海戸山・芥見清水・芥見中野畑・芥見嵯峨・芥見堀田・芥見影山・芥見大般若・芥見野畑・芥見長山・芥見大船・芥見町屋・芥見大退・上芥見・芥見東山・芥見南山一―三丁目・北山一―三丁目・祇園・大洞一―四丁目・大洞西・大洞緑山一―二丁目
各務郡の北西端に位置し、広い村域の北西部で長良川と武儀川が合流する。「和名抄」記載の各務郡芥見郷の遺称地で、中世は芥見庄として推移する。村内を郡上街道が通り、郡上川(長良川)筋の河岸場が設けられていた。天文二〇年(一五五一)九月一日の斎藤道三寄進状写(常在寺文書)に「芥見村之内清水領」とあり、当地など五〇〇貫文が常在寺に寄進されている。永禄七年(一五六四)九月一五日の同寺宛織田信長寄進状写(同文書)でも、当地など一〇〇貫文の寄進のことがみえるが、「岐阜県史」はこれらの常在寺文書は写であり、研究の余地ありとしている。
慶長六年(一六〇一)の彦坂元正等連署知行目録(菅沼文書)には「あくたミ村」とあり、当村二千二四五石余などが菅沼定仍(伊勢長島藩)領となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報