芝の屋山陽(読み)しばのや さんよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芝の屋山陽」の解説

芝の屋山陽 しばのや-さんよう

?-1836ごろ 江戸時代中期-後期狂歌師
大田南畝(なんぽ)に狂詩を,万象亭(まんぞうてい)(桂川甫粲(ほさん))に狂歌をまなぶ。一時,朱楽菅江(あけら-かんこう),唐衣橘洲(からころも-きっしゅう)の社中にはいり,寛政8年(1796)四方側(よもがわ)の判者となった。天保(てんぽう)7年ごろ死去。姓は小島,のち能勢。名は嘉門。通称は内記。別号に山陽堂,奇応観。編著に「狂歌立雲集」「狂歌年代記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例